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【11月7日】
いよいよ、説明の日。
私は、もうずっと不安で、
気を紛らわすためにも、
午前中は仕事に行き、
ギリギリまで働いて、
12時過ぎに出発。
旦那は朝から、
部屋の移動があったみたいで、
バタバタしていました。
その後は、
男の看護師さんに付き添ってもらって、
お風呂に入れてスッキリした様子。
そして、リハビリ。
リハビリの先生から、
「だいぶ元気になって、
しっかり歩けるようになったので、
トイレまでの看護師の付き添いは、
もうしなくていいように伝えておきます。」
との判断がでました。
これには旦那も喜んでいました。
しかし、あの例の看護師さんは、
更に大暴走するのです...。
それはまた別で書きます。
そして、頭の傷口を止めていた
ホッチキスも半分が外され...
旦那は、
手術後からどんどん良くなり、
見違えるほど元気になっていました。
私は15時頃、病院に到着。
個室に呼ばれ、
旦那も来ました。
顔を見た瞬間、
かなり笑顔な旦那...
もうビックリするほど、
元気で明るい表情で、
雰囲気が別人のようでした。
そんな旦那に驚いてるうちに、
先生や看護師さん達が入って来ました。
執刀医のM先生。
主治医のE先生。
看護師さん。
執刀医のM先生が
旦那を見た瞬間、
先生:「だいぶ元気になりましたねぇ。」
旦那:「はい。かなり調子良いです。」
先生:「ホルモンを足してますからね。
その影響がしっかり良い方向に出てますね。」
旦那:「そうなんですねー。ははは。」
もう入院した頃の旦那のからは
考えられないほど堂々とした受け答え。
もう私は、不安も吹き飛ぶほど、
旦那の変化に驚いていました。
そして、本題に入り、、、
先生:「検査結果が出まして、
胚細胞腫という種類でした。
その中でも、胚腫で、
ジャーミノーマというものなのですが...」
もう私は、
胚腫という言葉を聞いて、
涙が出るほど嬉しかった。
悪性には変わりないけど、
胚細胞腫の中では、
1番悪性度が低い種類で、
予後も良くて生存率も高いもの。
もう私はその答えだけで、
頭が真っ白になり、、、
その後の説明が
あまり頭に入って来なくて、
ただひたすら、
心の底から安心していました。
手術後に、
自分が悪い病名だと診断されていたなんて、
全く知らなかった旦那は、
私が横で安心してることなんて気付かずに、
平然と先生との会話を続けていました。
私が先生に、
「先生が手術の日に説明してくれた
神経膠腫という可能性は、
もう全くないのでしょうか。」
と聞いてる途中で、
だいぶ食い気味に
「あぁ、もうそれはない!」
って少し嫌そうに言われて
話を変えられました。
もしかして、
自分の診断が間違ってたことを
気にしてるのかな?と思いながら...
正直、少し不信感も抱きました。
先生に断言されてから、
毎日毎日どれだけ辛かったか...
ってちょっと訴えかけたかったけど...笑
結果が良かったので私も水に流しました。
それから、
今後の治療の説明があり、、、
先生:「今後は放射線と化学療法で
治療していきます。」
先生:「細かい治療内容などは、
放射線などの先生たちと話し合って、
これから計画書を作っていきますので、
それが決まったらまたご連絡します。」
私:「治療期間は
だいたいどれくらいになりそうですか?」
先生:「大まかな予定では、
トータルで半年くらいかなぁ。」
2年かかるかもしれない
と言われていた治療期間も、
半年に減り・・・
こんなことってあるの?
これは現実?
本当にこの結果を信じていいの?
と状況を疑うほどでした。
そんな私の困惑をよそに、
旦那は説明中も終始笑顔で、
まるで他人事のように
元気に先生と喋っていました。
そんな旦那を見ていると、
これは現実なんだと実感できて
かなり嬉しかった。
しかし、、、
いくら予後が良い病名だとしても、
悪性には変わりなく、
何があるかも分からないし、
今後の治療が
大変で辛いことには変わりない。
だから、この結果を聞いて、
喜ぶべきではないとは分かっていても、
私からしてみれば、
天と地ほどの差があり、
正直、喜びと安心で
溢れていました。
平均余命2年~3年の病名から、
10年生存率90%の病名に変わった。
これは神様がくれた
奇跡なんだと思いました。
正直、1番辛い時には、
神様なんていないって思ってた。
でも、やっぱり神様はいたって思えた。
こんな都合の良い考え方は、
ダメかもしれないけど、
私はこれは奇跡だと信じてる。
私にとって、あの辛い日々は
意味のある時間だったんだと
前向きに捉えるようにしました。
身内や友達は、喜びと同時に、
やはり先生たちへの不信感が...
でも、良い診断から、
悪い結果に変わるよりは、
結果が良くなった方だったので、
私はもう気にしないようにしています。
しかし...
またしばらく後に、
思っていたよりも悪い内容を
説明されることになるとは...
しかし、、、
私がリアルに感じたこと。
病名の重症レベル?が下がってから、
先生たちの対応が、急にすごく
あっさりしたような気がしています。
この日の説明自体も、
すごく短くて、
サラッと終わった印象でした。
そして、
私が目のことを聞いても、
先生:「あぁ、もう目も良くなるよ!」
私:「見えてる部分だけでも
眼鏡の視力を合わせてあげたいので、
できれば、眼科での処方箋を
出してもらいたいのですが...」
先生:「いやいや、視力も良くなるから、
今めがねを作り替えるのはもったいないよ。」
私:「え?見えてる部分の
視力も良くなるってことですか?」
先生:「うん!なりますよー!」と
食い気味で即答されました。
本来なら、
かなり喜ぶべき返答でしたが...
私は先生の答え方の
軽さや適当さ?に、
あまり信じきれず...
その後、
他の先生からの説明で、
目は良くならないと言われ、
やっぱり私の悪い予感は
的中したのかと、
執刀医の先生に対して、
また少し不信感が...
そして、こまめに状況報告の
電話をくれていた主治医の先生からも、
治療が始まってからは、
もう1度も電話はありません。
私が感じたのは、
病名が変わり、
先生たちの中での、
優先順位が下がった。
これをリアルに感じました。
今までと比べると、
先生たちのあっさりした対応は、
少し悲しい部分でもありますが、
先生たちが優しいことには変わりないし、
心の底から、とても感謝もしています。
なにより、
病状が軽いということなんだ...
ということで、
喜ぶべきことなのだと思います。
予想してなかった部分での、
あまりの変化に
私は少し困惑してしまいましたが...
つづく。
というわけで...
最終的に
旦那についた病名は、
胚細胞腫・胚腫・ジャーミノーマ
ここまで、
「詳しい病名が分かるまで...」
というタイトルで書かせて頂きましたが、
病名が分かるまでの話は、
これで終わりになります。
次回からは、
治療が始まってからのことなどを、
また記録のように書かせて頂きます。
分かりにくい文章だと思いますが、
ここまで読んでくださった皆様、
本当にありがとうございます。
今後も、どうぞ
宜しくお願い致します。