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小学6年生に上がった私。
母から怒られる毎日。
母の言葉に傷つく毎日。
母への怒りがこみ上げる毎日。
相変わらず、
そんな毎日を送っていた。
母は、
気持ちがプラスになるような
言葉を決して言わない。
必ずどんな時でも、
マイナスな部分を指摘してくる。
きっとわざとではなく、
母にとってはそれが当たり前で、
自分でも気付いていないのだと思う。
私が難しいテストで、
98点を取った日のこと。
とても嬉しくて、
少し自慢気に母に見せた。
母の第一声は、
「なんであと2点が取れなかったの?」
今日は喜んでもらえると、
少し期待していた自分がバカだった。
「あと1問なのにもったいない。
もっとちゃんと見直しなさいよ。
ほんとバカなんだから。」
母からの言葉を
素直に受け取った私は、
少しショックを受けながらも、
「100点を取らないとダメなんだ。
98点で喜んじゃダメなんだ。」
私はそう反省していた。
そして、
ついに難しいテストで
100点を取った日。
「そうよ。いつも
それくらい勉強すればいいのよ。
それを続けないと
意味が無いんだからね。」
褒めてくれたというには
少し違った母の言葉だったが、
“怒られなかった”
“母の機嫌が悪くならなかった”
という事実に
私はホッと一安心していた。
母にとっては、
100点を取るのが当たり前。
99点でもそれはダメなこと。
悲しさを感じながらも、
私の心にも徐々に自然と、
いつの間にか
それが染みついていたのだと
大人になってから気付いた。
そんな母との生活を続けていると、
「私がお母さんだったら、
絶対そんなことは言わない。
絶対そんなことはしない。」
「こんな大人には絶対なりたくない。」
と思うような出来事が
ほぼ毎日繰り返されていた。
私はそんな
悲しい出来事がある度に、
自分も同じことをしないようにと、
子供の頃の気持ちを、
子供の立場としての気持ちを
ちゃんと覚えておきたくて、
いつからかメモ用紙に、
箇条書きするようになっていた。
“100点取れなくても
勉強頑張ったことを褒める”
“まずは子供の話を聞く”
“最初に怒られたら
もう何も言えなくなる”
“まずは子供に選ばせる”
“子供が否定しても
それを受け入れて優しく接する”
“勝手に思い込んで決めつけない”
そんなメモ書きは、
その後、数年間、
中学校を卒業する頃まで続いた。
内容は軽く100個は超えていた。
今思えば、
それはとても単純な内容で、
私の母に対する願望でもあった。
そういう毎日の中で、
私には少しずつ、
「お母さんなんて
居なくなれば良いのに」
そんな感情も生まれていた。
お母さんが嫌い。大っ嫌い。
褒められたい。認められたい。
そんな矛盾した感情が、
私の心を毎日駆け巡る。
小学6年生で行った、修学旅行。
友達とウキウキしながら
その日を楽しみにしていた。
準備するものは、
母がしっかり買い揃えてくれた。
そういう時のお世話や管理は、
母は人一倍してくれていた。
心配性な母は、
あれもこれもと
色々用意してくれた。
そして、
すごく楽しい2泊3日の
修学旅行を終えた。
3日目にもなると、
「早くお母さんに会いたい」
「たくさん話を聞いてもらいたい」
「お土産を渡したい」
そんな感情でいっぱいだった。
それと同時に、
「あっ、私、
お母さんのこと好きなんだ。
嫌いじゃないんだ。
私にはお母さんが必要なんだ。」
自分の中で、
素直にそう思っていた。
3日振りに母に会い、
色んな話をした。
素直にとても幸せだった。
こうやって、
たくさんの母の嫌いな部分。
でも、母が必要だという気持ち。
色んな感情を抱きながら、
自分のこと、母のことを、
冷静に客観視できるようになった頃、
私は小学校を卒業した。
つづく
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