こちらのリンク記事の続きとなります。



ホルモン補充のおかげで、
旦那はだいぶ元気を取り戻していた中、

私は、検査結果が出るのを、
毎日毎日待ち続けていました。 


先生から、
神経膠腫で悪い状態」だと、
断言された手術日から、、、

正直、私は毎日毎日本当に辛くて、
今まで生きてきた中で1番、
比べられないくらい辛い日々でした。


働く気力もないけれど、
家に1人で居るよりは
職場に居た方が気が紛れる。

職場のみんなも
事情は全て知っていたので、
すごく気遣ってくれて、
本当に有り難かったです。


でも、仕事中でも、
急に溢れてくる涙。

考えちゃいけないと思ってても、
フッと感情が崩れて涙が出てくる。

職場のみんなから
優しい言葉をもらうだけでも、
涙が止まらなくなる。


そして仕事が終わって、
家に帰った途端、
もう何もできなくなる。

家に帰るのが嫌で、怖かった。
旦那のものを見るだけで、
涙が止まらなくなる毎日。

こんなに辛いなら、
もう思い出は増やしたくない。
とまで思ってしまいました。


旦那とのLINEを続けながら、
ただボーッと座って、
夜8時にはベットに入る。

テレビの音も
何も頭に入って来ない。


旦那が先に寝てしまって、
LINEが途絶えると、
もう後は泣きながら眠りにつく。

私が旦那を支えるべきなのに、
旦那が先に寝るのが怖くて、
必死に先に寝ようとしていました。


ご飯もお風呂も、
水を飲むことすら、
全くできてませんでした。

手術後の説明を受け、
正式な検査結果を聞くまでの間、

私はかなり不安定になっていて、
10日間で5キロも痩せていました。


朝になると、
仕事に行かなきゃという気持ちで
自分を奮い立たせて、

お風呂に入り、軽く準備をする。
化粧もまともに出来ない日々でした。


毎日フルタイムで働きながら、
早退できる日や休みの日は、
必ず病院に行き、

週に3回以上は通っていました。


会えなくても、
近くに行けるだけで、
気持ちが楽でした。

旦那の為に行ってるのか、
自分の為に行ってるのか、
正直分からなくなっていました。


往復5時間の運転は、
家に1人で居る時間よりは、
気持ちが楽だった。

ただ音楽すら聴けず、
ずーっと常に無音状態でした。


旦那とのLINEや電話では、
平然を装って接していたし、

私がしっかりしなきゃ!
という冷静さもあったけど...


旦那を失うかもしれない
という現実を全く受け入れられず、

常に不安で怖くて、
苦しくてずっと心臓が痛かった。


もう私は正直、
ギリギリの状態になっていました。


そんな中、
11月3日の15時頃...

主治医のE先生から電話が。


検査結果が出ました。

実は、先日の説明で
私たちが話していた病名と、
検査結果が全く違ってまして...

今、私たちも正直、
驚いている状況です。


そう説明され、
私の頭も急に混乱。


手術後に説明した通り、
私たちは“神経膠腫”だと判断していました。

それが検査結果では、
“胚細胞腫”として出てきました。



私も執刀医の先生も、
ちょっとビックリしている状況で、
信じられない感じなのですが...

でも、検査結果が全てなので、
今後の治療も検査結果に合わせて、
行っていくことになります。



先生は、かなり不思議そうに、
驚いてる感じで説明されました。

先生たちは、
検査結果が信じられないけど、
そういう結果が出た以上は、
それを信じるしかないということでした。

そんな先生の様子に、
私も困惑してしまい...


この前説明してくれた病名と、
どっちが悪いんですか?


私が1番気になっていたのは、
正直そこの部分でした。



まだ胚細胞腫という
結果だけしか出ていなくて、

その中でも、
細かい病名に分かれるのですが、
その種類によって全然違うので、
まだそれは分かりません。

来週月曜日に説明する時には、
もう全て結果が出ていますので、
月曜日の15時から
詳しい説明をしますね。



神経膠腫の場合は、
細かい種類がグレードとして表されますが、

胚細胞腫の場合は、
更に細かい病名で表されるとのこと。

私は、先生との電話を切って、
すぐにネットで調べました。


その種類によって、
全然違う予後や生存率。

その細かい種類が、
悪性度の3段階で分けられており、

1番悪性度の低い、胚腫。
(10年生存率90%)

中等度悪性群
(5年生存率50%)

高等度悪性群
(3年生存率30%で、
悪い人は1年程度。
良い人でも5年の生存は困難。)



調べてみると、
種類によって差が凄くて...

私の不安は軽くなるどころか、
更に増していました。


先生たちが断言していた
神経膠腫とは違ったとしても、

悪い状態だと思っててください。
という先生からの
あの言葉がフラッシュバックして、
悪い方にしか考えられず、、、


悪い人だと余命1年~3年。

最初に断言されていた
神経膠腫のグレード3か4よりも
もっと悪いかもしれないという恐怖で、

その電話から、
説明の日までの3日間は、
更に辛い日々でした。


つづく。