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手術が終わり、
先生から最悪の結果が聞かされ、

私は大泣きしながら、
2時間半かけて帰宅中、、、

私の母からの着信。


コンビニに寄り、
泣きながら電話をして、
もう上手く説明もできず。

とにかく今は無事に帰ってきて。
そう言われて、私は必死に
冷静さを取り戻そうとしていました。


母が報告したみたいで、
叔母からも心配の連絡があり、
大丈夫?ちゃんと帰って来れる?

旦那の心配をしていたはずのみんなが、
いつの間にか私の心配をしてくれていました。


家に帰りたいけど、
帰って1人で過ごすのは、
今の私には耐えられない気がする。

このまま実家に帰ろうかな。


なんて考えながら、、、


旦那の家族にも
ちゃんと報告しなきゃ。

電話じゃ説明できない気がするから、
直接会ってちゃんと伝えなきゃ。


母や叔母と話をしたからか、
急に冷静な自分が出てきていました。


義母にLINEで、

手術は予定通り、
無事に終わりました。


遅い時間に申し訳ないけど、
帰りに寄っても良いですか?


帰りにそのまま
旦那の実家へ行くことにしました。


この時の私は、今思うと、
報告しなきゃという気持ちよりも、
ただ誰かに会いたい。聞いてほしい。
という気持ちが大きかった気がしています。



あまり遅くならないように、
途中から高速に乗り、
夜10時頃には旦那の実家へ到着。


玄関を開け、
義母の顔を見た瞬間に、
私は、また号泣。

そんな私を見て、
全てを悟っているようでした。

義姉も待っててくれて、

私が泣き止むまで、
2人も一緒に泣いてくれました。


そんな2人を見ていると、
私がしっかりしなきゃ。
また冷静な自分が出てきて、

入院中のこと...
今日の手術のこと...
先生に言われたこと...
手術後の旦那の様子...

全てを話しました。


2人とも言葉を失い、
無言の時間が流れました。


義母が、
あの子から直接LINEが来て、
悪性の可能性が高いって聞いて、
それからずっと眠れなくて、

色々調べて、
あの子は40歳まで
生きられないかもしれないって
考えてしまってね。

なんであの子なのって
可哀想で可哀想で...

えりかちゃんにも申し訳ない。
そんな体に産んでしまって本当にごめんね。
できることなら私が変わってあげたい。



みんなで泣きました。

私も、今は泣いていいんだって
思えて涙が止まりませんでした。


実家に着いて、
20分が経った頃、、、

私の携帯に着信が。


登録してない番号でしたが、
嫌な予感がして出てみると、

〇〇さんの奥様ですか?
大学病院の入院病棟からですが...

ご主人の容体が急変しました。
麻痺が出ていて、意識が低い状態です。
すぐに来てください。



もう私は頭が真っ白になり、
泣き崩れ、取り乱してしまいました。


電話の内容を2人に伝え、
普通の状態じゃない私を見て、

義母や義姉も焦って、
絶対大丈夫!信じよう!
一緒に行くからね!


と言ってくれて、
運転して病院まで
連れて行ってくれました。


22時半には出発して、
高速に乗って向かう途中に、

脳外科執刀医M先生から電話。


手術した場所とは
別の場所から出血していて、
非常に危険な状態です。

意識障害があって、
このままだと致命的です。


今から緊急手術をしても良いですか?

本当はこちらに来てもらって、
同意書を書いてもらうのですが、
遠くから向かってると思うので、
それだと間に合わないので、


電話での説明だけで、
口頭で同意をもらっても良いですか?



私は、
はい。すぐにお願いします。
よろしくお願いします。


義姉が急いで運転してくれて、
深夜0時に病院に到着。


7階へ上がり、
看護師さんに状況を聞くと、、、

23時から手術に入っています。
そこから5~6時間かかります。



20時半頃の確認で、
反応や状態に少し異常が出て、

それから21時頃には、
左側に麻痺が出て、
意識が低い状態になりました。

それで、先生の判断で、
CT検査などをしたところ、
出血していることが分かりました。



もう私はそれを聞いただけで、
更に旦那のことが心配で心配で...


私が病院を出たのは20時過ぎ。

あの時に、
旦那から呼ばれているような感覚がして、
何だか帰っちゃいけない気がして、
しばらく帰れなかったことを思い出しました。


私が病院を出てすぐに異常が...

あの時、旦那は必死に私に
何か伝えようとしてたのかなと思うと、

帰らなければ良かった」と
本当に後悔しかありませんでした。


看護師さんから渡された同意書。
あとで先生から
直接説明を受けると思いますが、
目を通しておいてくださいね。



そこには、
急性硬膜外血腫という診断名が。

旦那の状態や、
危険性・合併症に関することが
色々と書かれており...


意識障害と左半身麻痺を認めます。

術後も、
新たな神経症状の出現や
半身麻痺・意識障害が
持続することがあります。

そう書かれてありました。


病院に向かう車の中...
緊急手術の最中...

私は本当に
色々なことを考えていました。


助かってほしい。
絶対生きてほしい。


そう願い続けながらも、
本当に辛そうで苦しそうな
術後の旦那の姿を思い出し...


もし今、助かっても、
今後は治療でまた辛い思いをする。
そしてそれに耐えても治らない。

生きてほしい、
助かってほしい。

という願いは、
私の望みであって、
私の勝手なエゴかもしれない。


旦那が辛い思いをせずに
楽になれるのならこのまま...

そうすれば、
私だけが辛い思いをすればいいだけ。

旦那が苦しむくらいなら、
旦那を失って、私だけが苦しめばいい。

なんて考えてしまった時間も
正直ありました。。。


でも、
そんなことを考えている自分にも
耐えられなくなり、

泣いたり、ボーッとしたりを
何度も繰り返していました。


旦那を失うかもしれない恐怖。
病名を断言された絶望感。


こんなドラマみたいなこと、
テレビで見るような状況って
本当に現実に起こりえるんだ...

なんていう、
地に足が着いてないような
フワフワした感覚の中に
居る時間も多々ありました。



義母や義姉が寒がってる中、
私の体は何故か熱くてたまらず、

窓のところに
風に当たりに行きました。


外の冷たい風を浴びて、
真っ暗な外を眺めている内に、

何故だか分からないけど...


大丈夫!絶対大丈夫!
絶対助かる。絶対死なない。
まだまだ一緒に居たい。

フッと気持ちが急に軽くなり、
絶対私がどうにかする!

もし麻痺が残っても、
目が見えなくなっても、
私がどうにかする。


だから絶対に生きててほしい。
もう生きててさえくれれば
何だっていいから。


私のエゴでも何でもいい。
お願いだから生きて。
どんなことがあっても
私が幸せにする。

絶対に私が長生きさせる!
絶対に死なせないから。



急にすごく不思議な感覚になり...

その瞬間、
私の覚悟が決まりました。

今でも、あの時の感覚は
本当に不思議です。


そこから、
自分でもビックリするほど、
自分の言動が変わり、

それからは全く泣かずに、
不安や恐怖も顔から
消えていたと思います。


手術が始まり、
6時間が経過...

朝方5時になっていました。

看護師さんが、
手術が終わりましたよ。
って伝えにきて下さり、
本当に安心しました。


先生と看護師さんが、
旦那をこちらまで運んできてくれて、

無事に終わりましたよ。
心配しましたね。
もう大丈夫ですからね。


先生は命の恩人だ...
先生が救ってくれたんだ。

1日に2回も手術してくれて、
こんなに長い時間...
そして昼間の手術に加え、
真夜中から朝まで...
本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。


旦那に声を掛けると、
すでに目が覚めていて、
私を見てすぐに左手を出して
手を強く握ってきました。

私は、左手がちゃんと動いてる
という安心感でいっぱいでした。


義母や義姉を見た旦那は、
なんでいるの?
朦朧としていた目がパッチリ開いて、
かなりビックリしていました。


顔色も良くて、
肌の色もキレイで、
意識もしっかりしていて
すごく落ち着いている旦那を見て、
本当に安心しました。


それと同時に、、、

最初の手術後とは
旦那の様子が全く違い過ぎて、

やっぱりあの時は、
何かおかしかったんだな。
って思いました。


その後、
先生からの説明を受ける為に、
義母も義姉も連れて別室へ。


出血していた時の
画像を見てビックリ。

3分の1以上、半分ほどまで、
出血が広がっていました。

術後の画像を見ると、
それが跡形もなく、
本当にすごくキレイに出血が
なくなっていました。

何度も何度も
M先生にお礼を伝え...


1回目の手術では、
あまり傷口が目立たないように、
生え際半分だけを切ったのですが...

2回目の手術では、
仕方なく後ろの方まで
大きく切りました。



しかし、今回の出血は、
手術をした場所とは違う部分で、
私も初めて見たケースです。

正直、原因が分かりません。

考えられるとするなら...


と、色々と詳しく
説明して頂きました。


麻痺があった部分も
全て良くなってるので、
安心して大丈夫ですよ。


もう本当に安心しました。


その後、
旦那の病名や種類について、

義母や義姉にも、
説明くださって...


神経膠腫、ステージ、進行がん
、治らない、悪い状態という言葉...

それを聞くだけで私は、悪夢が
フラッシュバックしてくるような感覚。

でも、「絶対大丈夫!」
もう覚悟が決まっている自分。


色々な感情になりながら、
悪い状態というのは、
グレード4の可能性が高いんですか?


怖くて聞けなかったとを聞いてみました。


すると、先生は、
私の泣きはらした姿に気付いていて、

それはないですよ。

本当は結果が出ていないのに、
私がこんなことを
言ってはいけないんですけど、

多分奥さんが色々と
悪い想像ばかりしてしまって
とても辛そうなので...

私たちは2か3と予想しています。

3と4ではかなりの差があるので、
4ではないですよ。



“グレード4ではない”
と言ってくれただけで、
私はものすごく前向きになれました。

そして、

平均余命なんて関係ない!
3年とか5年じゃ旦那は死なない。

10年、15年、
いや20年、絶対に生きれる。


また改めて覚悟が決まりました。


説明を終え、
1人ずつ面会できる
許可を出してくれました。


まず私が行くと、、、

左目しか開いてないし、
言葉もゆっくりだけど、

意識はハッキリしていて、
全く辛そうじゃない穏やかな旦那でした。


私:「大丈夫?痛いとこない?」 

旦那:「うん。大丈夫。痛くない。

私:「頑張ったね。お疲れ様。
もう大丈夫だからね。



旦那:「お腹空いた!

思わず笑ってしまいました。

旦那も笑いながら、
次のご飯いつ?早く食べたい!

もうその姿に、
私はかなり安心して、
うれし涙が溢れました。


その後、義母や義姉も旦那と面会。

旦那は義母に、
迷惑かけて心配かけてごめん。
病気になってごめんね。

と言ったみたいで、
戻ってきた義母は泣いていました。

そんな言葉も言えるほど、
意識はしっかりしてるだなと
私は全てを前向きに捉えていました。


また最後に、
帰るね。またすぐ来るからね。
と私が言いに行ったら、

また明日ね。ありがとう。
と笑って答えてくれました。


看護師さん達からも
色々と優しい言葉を掛けて頂き、
旦那を任せて病院を出ました。

すでに朝6時を過ぎ...
外は少し明るくなっていました。


私の感情は落ち着いていて、
色んな覚悟が決まっていて、
穏やかな気持ちで帰れました。


つづく。