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中学校に入学した私。
小学校から中学校までは、
エスカレーター式に上がるという
少し珍しい地域に住んでいたので、
友達関係は何も変わらず、
憧れていた制服を着ることができて、
楽しい毎日だった。
学校での生活、
友達関係、先輩との関係、
もちろんそれなりに色々あったが、
それは人並みで、それも含めて、
みんなと楽しく“青春時代”を送っていた。
ただ、この頃には、
自分に対しての“自信”というものを
すでに失っていた。
私は何をやってもダメな人。
自分の意見は全て間違っている。
こんな私と仲良くしてくれて
本当にありがとう。
この友達、みんなのお陰で、
私は楽しい毎日を過ごせているんだ。
友達に対しても、
自然とそう思うようになっていた。
人見知りに続き、
私はこの自信の無さも
自分の性格だと思っていた。
母の言動のせいで、
自分がこうなっているなんて、
この時には全く気付いていなかった。
相変わらずの母だったが、
私が中学校に上がり、
部活も始め、
友達との外出も増えたことで、
私は少し自由になった。
...気がしていた。
そう思いながらも、
母の言動や機嫌に
必ず左右されていた。
学校の勉強も
少しずつ難しくなる頃、
母は自分が教えていくことに
限界を感じていたのだろう。
ある日、自宅に訪れた、
とある教材の営業マンの話を
夢中で聞いていた母。
途中で私も呼ばれ、
色々と説明された。
私は「これをやったら
成績が上がるのかな?」という
軽い気持ちで話しを聞いていた。
しかし、その金額を聞いて
私の心は一気に冷めた。
“60万円”
そんな高い教材いらない。
もしそんな高い教材を買って
途中で辞めたら絶対に怒られる。
むしろ、絶対に
途中で辞めちゃうから、
最初からやりたくない。
私は正直、そう思っていた。
しかし、母から、
「どう思う?やりたい?
これならやれるんじゃない?」
母はその教材を気に入った様子。
私は、母のその様子に、
「やらない」という
たった一言が言えなかった。
何も言えずに居ると、
「えりかがやるなら買うよ。
もう後はあんたが決めるだけだよ。
やった方が絶対良いと思うけど。」
文字にすれば、
すごく簡単なこと。
「やらない」「いらない」
って言えば済む話。
でも、母の言葉には、
「期待」と「圧力」が
ものすごく込められていた。
本当に込められていたのかは、
今となっては分からない。
ただ、この頃の私は、
色々な母からの言葉に対して、
「期待」と「圧力」を
感じるようになっていて、
自分の本当の気持ちは飲み込んで、
母の期待に応えるような
返事や発言をするようになっていた。
「母が不機嫌になるようなことは
絶対に言えない」と思うと同時に、
「母の期待に応えたい。」
それも私の望みになっていた。
「やる」
私はそう返事した。
「本当にやるのね?
これなら出来るんだね?
途中で辞めたら絶対にダメだからね。」
いかにも、
私に選択肢を与えている様に
笑顔で聞いてくる母。
その笑顔の裏にある
“圧力”を感じて断れない私。
私が一言、
「やる」って言ったことに対して、
「自分でやるって決めたんだからね。
お母さんは強制してないからね。」
と念を押してくる母。
もし続かなかった時は、
私のせいに出来るように。
「あんたがやるって言ったんでしょ?」
と私を責められるように。
そんな母の思惑を読み取り、
私は簡単に、そんな未来まで
想像できるようになっていた。
そして、私は
その高額な教材を使って、
頑張って勉強する日々。
勉強が楽しいというより、
母に怒られないために。
母の期待に応えるために。
色々な出来事の中で、
母の“圧力”を感じ、
母から与えられた選択肢には、
母が望んでいるであろう返答をする。
そんな流れが当たり前になっていた。
私自身がもっと強くなれば
良かったのかもしれない。
でも、この時は、
「お母さんの言うことが全て正しい。
自分の気持ちが間違っている。」
と思い込んでいたこともあって、
その圧力には勝てなかった。
あの時、私がもっと強かったら...
私が弱かったからこうなったんだ...
大人になった今でも、
あの頃の自分を責めて、
私は反省を繰り返して
落ち込んでしまう。
母の厳しさや、
母からの圧力を感じながらも、
そんな生活に慣れていた。
悲しい気持ちも、
寂しい気持ちも、
私は全て押し殺して、
人前では平然を装って
自分の感情を誤魔化していた。
それがストレスとなって
影響していたのだろうか。
中学1年生の途中から、
私は必ず毎日、
“金縛り”にあうようになった。
眠りに落ちると、
必ず怖い夢を見て
金縛りに苦しんで目が覚める。
何度寝ても繰り返す。
一晩で3回以上は
金縛りにあっていた。
休日にリビングで昼寝した時にも、
夜テレビを見ながら寝てしまった時にも、
いつどこで寝ても“金縛り”にあう。
そんな毎日が、
2年間以上も続いた。
毎晩、寝るのが嫌で、怖くて、
朝が来ると安心していた。
いつしか、
金縛りにかかる直前には、
自分で分かるようになっていて、
身体が動かなくなっても
苦しくない体制に自分で整えてから、
金縛りにかかるようにしたり。
金縛りにかかっても、
落ち着いて終わるのを待ったり、
色々試して早く終える方法を探ったり。
2年間以上も毎日続いていると、
色々な技を身に付けていた。
しかし、
“金縛り”に対しての、
嫌な気持ちや怖い気持ち、
眠ることに対してのストレスは、
ずっと消えることは無かった。
不思議なことに、
私はそのことすらも、
誰にも言えなかった。
母にはもちろん、
周りの大人や友達にも。
何故か相談できなかった。
ずっと一人で苦しんで悩んでいた。
金縛りにあう毎日が、
1年ほど続いたある日、
1度だけ母に話したことがあった。
「実は私、ずっと前から
毎日金縛りにあってて、
夜中に何度も目が覚めて
よく眠れないんだよね。」
すると、母からは、
「え、なにそれ。
怖いこと言わないでよ。
家建てた時にお祓いしたんだけど。
あんたおかしいんじゃないの?」
と言われて、
すぐに話を変えられた。
そんな事があって、
私は更に言えなくなった。
私にとっては、毎日の金縛りも
当たり前の日常の一つになっていて、
当たり前のように我慢していた。
それが精神的なストレスが原因で、
すごく恐ろしいことだとは気付かずに。
つづく