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【10月31日】

この日は、仕事を早退して、
夕方に病院へ行く予定。

まだ術後で会えないだろうから、
看護師さんに荷物を渡すだけですが、

早く行きたくて、
朝から仕事を
急いで終わらせていました。

その間も、
旦那とのLINEでのやりとりは
続いていました。



すると14時頃、
病院からの電話。


ビックリして慌てて出ました。

あの急変以降、
病院からの電話はトラウマのように
怖く感じるようになっていました。


電話は、
脳外科主治医のE先生から。

血液検査をしたのですが、
貧血状態になっていることが分かりました。

今から輸血で血を足す治療をしてきます。
同意して頂けますか?



旦那とのLINEは続いていたので、
私はちょっとビックリして、

体調悪いんですか?」と聞くと...


先生:「いや、本人の体調には
なにも変わりはないので、
今のところ心配はありません。

恐らく、
緊急手術をしたときに出血した分で
血が足りなくなってる状態だと思うので、

ますは輸血をして様子をみます。



私:「分かりました。
よろしくお願いします。
輸血をすれば良くなるんですか?


先生:「私たちの予想通りなら良くなります。

しかし、もし輸血をしても良くならない場合は、
また頭の中で出血してる可能性が出てきます。

その時はまた詳しく調べて、
手術等での処置にはなってくるのですが、

出血してるときに出る症状などは、
今は何にも出ていない状態なので、
恐らく輸血をすれば大丈夫ですよ。


そんな説明を受けたので、
また私は心配に...


私:「あの、今日は後から
着替えと飲み物を届けに、
そちらに向かう予定なんですけど、
少しでも面会はできないんですよね?


ダメ元で聞いてみました。

先生:「申し訳ありませんが、
面会はできません。すいません。


ですよね~。笑
分かっていたことでしたが、
やっぱり残念でした。



先生:「他に何かありませんか?

私は、旦那の記憶について聞いてみました。


手術直前からのこと...
2回目の手術したこと...
手術が終わって家族と話しをしたこと...
この全ての記憶がないこと。

術後に、手術や目に関して、
私が答えたことを覚えてなくて
同じ質問をしてくること。

日用品やバックの場所など、
何回答えても、数時間後には
同じ質問をしてくること。


状況を説明して、
先生に聞いてみました。

先生:「そうなんですね。
でも、まだ術後3日目なので、
それは様子をみて大丈夫だと思います。

2回も全身麻酔をしたので、
通常に戻るには少し時間が
かかってるだけだと思います。
徐々にハッキリしてくると思いますよ。


先生からの言葉に少し安心しつつも、
私の不安は正直取りきれませんでした。


輸血をお願いして、
電話を切り、

私も仕事を終えて、
持って行く荷物の準備。

15時頃に出発。


先生から連絡があったこと、
今から輸血をすること、
私からも旦那に説明しておきました。

先生も同じように説明してくれたみたいで、
「さっき奥さんに電話しました。
って先生が言ってたよー!」とのことでした。

このことすらも、
夜には忘れることになるとは...



旦那の輸血は、
16時に始まりました。

でも、普通の点滴のように
病室のベットで行われたので、

スマホも触れて連絡も取れる状況で、
安心できたことを覚えています。


ただ、旦那は...
記憶が混乱していること、
頭の傷口を見たこと、
片目が開かず見えないこと、
そして輸血。

色んな状況が重なったことで、
精神的に少し不安定になっていました。


なんで俺なんだろ。

こんなに頭切られて、
2回手術しても何も良くなってない。
結局なんの手術したんだろ。


私が向かってる中、
こんなLINEが来るように...


目が覚めて起きたら誰も居なかった。
何も覚えてなくて。1人で不安だった。


入院してたことは分かってたけど、
気付いたら俺の頭は包帯だらけで、
ベットに手足固定されてて...

体中から管や線が出ていて、
場所も記憶と変わってたから、
どこの病院に居るのかも分からない、
自分に何が起きたのかが分からなくて。

キョロキョロしたけど、
えりかも誰も居ないし...



旦那が感じていた不安や恐怖。
私はこの時に初めて聞きました。


分かったつもりでいたけど、

私は結局、何にも
分かってあげられてなかった...

そんな自分にショックを受けました。


そして、そんな状況で、
どんなに怖くて不安だったんだろうと、
旦那の気持ちを想像すると
涙が止まらなくなり...

なんて言ってあげたらいいのかが
分からなくなり、

旦那のことを思うと
本当に苦しかった。



病院に向かう途中で、
私はまだ運転中だったので、
あまりLINEを返すことが出来ず。


すると、旦那からは、、、

本当はめちゃくちゃショックだけど、
仕方ないってのも分かってるし、
受け入れなきゃいけない。


ごめんね。

旦那は1人で、
ちゃんと受け入れて
必死に前を向こうとしていました。

何もしてあげられてない自分に、
本当に腹が立ちました。


18時頃に、病院に到着。

旦那からのLINEも
運転中ずっと気になっていたので、

私は荷物を渡す前に、
談話室に寄り、

旦那への手紙を。

荷物に手紙も一緒に入れて、
看護師さんに渡しました。


今、看護師さんに荷物渡したからね。

そうLINEすると、

この点滴さえ繋がってなければ、
どうにかして会いに行くのに!!!


近くまで行きたいだけなのに!
えりかに会いたいだけなのに!


絵文字いっぱいの
明るい旦那に戻っていました。


旦那:「輸血してる時間じゃなければ...
タイミング悪かったよー!


私:「いや、点滴してなくても、
まだオシッコの管とかも繋がってるでしょ。


旦那:「くそー!そうだったー!
俺をこんなにもベットに繋ぎやがってー!


私:「全部外れて歩けるようになったら、
またすぐに飛んでくるからねー!


旦那:「よーし!リハビリ頑張って、
早く全部外してやる!!!



さっきまでの、気持ちが
沈んでいた旦那とは全然違って、
急に明るくなった旦那。

会えなくても、
近くに来るだけで、
こんなに元気になってくれるんだ...


それを実感した私は、
旦那が少しでも元気になれるなら、
出来る限り来ようと決めました。

今の私にできることは、
それくらいしかないし、
旦那の為になることは全てやりたい。

改めてそう思いました。


夜9時頃、
ようやく輸血は終わったものの、
点滴はまだ繋がれたままでした。


旦那が輸血に対して
先生に聞きたがっていたことに、

私が先生からの電話で
言われたことを説明すると...


旦那:「なんでえりかが知ってるの?

私:「今日、輸血の前に
先生からの電話で言われたよー!


旦那:「え?先生から電話あったの?

私:「あったよー!先生からも
奥さんに電話したって聞いたでしょ?
そのこと覚えてない?


旦那:「覚えてない。


私は、やっぱりまだ記憶が
不安定だなー...と感じ、

その時のLINEの
やりとりのスクショを送りました。


私:「この時のLINE覚えてない?

旦那:「え、覚えてない。
俺こんなこと送ってたっけ?



違う部分のスクショを送ってみると、

旦那:「んーこれは覚えてるような
覚えてないような...
ハッキリは思い出せないなぁ。



今日の昼間のことも、
旦那があまり覚えていない状況に、

不安になって焦る自分と...
大丈夫。先生の言葉を信じよう。
と落ち着かせる自分が居ました。


また混乱させたくなかったので、

旦那から何度同じ質問をされても、
私は何度でも同じように答えようと決めました。


つづく。


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【10月29日】

手術日の翌日。

朝8時過ぎに
私は家に帰ってきて、

もう何も考えたくなくて、
そのまま布団に入りました。


3時間ほど寝れたので、
午後から仕事に行くために準備。

この時の私は、
1人で家には居たくない。

仕事でも何でもいいから、
気を紛らわせていたい。

ギリギリの精神状態で、
過ごしていた記憶があります。


お昼を過ぎて、仕事中にも、
旦那からはまだ連絡は来なくて...

私から旦那に大量の
LINEをしていました。

旦那がスマホを
見れるようになった時に、

少しでも明るい気持ちになってほしくて、
色々とふざけたLINEを送っていました。



今日のお昼からは、
普通にご飯が食べれると聞いていたので、
ご飯を食べれるなら携帯も触れるのかな?
って思っていましたが、、、

14時頃まで待っても
連絡が来なかったので、
病院に電話をしてみました。


※看護師さんから、
術後はまだ本人からの
連絡はできないと思うので、
術後の様子は、こちらの病棟の方に
直接電話してきて聞いて下さいね。

と、電話番号を教えてもらっていました。


旦那の様子を聞くと、
普通に目は覚めているんですけど、
お昼前から頭が痛いと言って、
昼食は拒否されて食べませんでした。

痛み止めが効けば、
そろそろ動いたりできると思うので、
連絡が来ると思いますよ。

と親切に色々と状況を教えて頂き...


あんなにお腹空いたって言ってたのに、
ご飯が全く食べられないくらい、
そんなに痛みと闘ってたんだと知り、

ふざけたLINEを
送っていたことを後悔しました。



それからも、
応援のLINEを送り続け...

ついに、17時頃に、
旦那からのLINEが来ました。

旦那からのLINEがこんなにも
嬉しかったのは初めてかもしれません。笑



痛みはいいけど、
水が飲めないのが嫌。


恐らくこれが
言いたいんだろうけど、
まだ上手く打ててない感じで、
誤字ばかりのLINEが届きました。


※実際に届いたのは...
痛みは、いいらけど
水がなかななか飲めないのかいや


必死に頑張って
打ってくれたんだなって思うと、
本当に嬉しかったです。


その後、
数回LINEが来て、、、

18時半には、
手術後、初のごはんです」と、
食事の写真も送られてきました。


どんどん回復してる様子に
安心していましたが...

なんか頭がおかしくて、
動きがゆっくりで変。

と旦那からのLINE。


「看護師さんに言ってみたら?」
と聞いても、

近くに居ないし言えないよー
(近くいなし、いえなあよー L)
と、また誤字だらけの文章。


術後だから、
みんなこんな感じなのかな?
とは思いつつ、、、

その後も、
誤字ばかりのLINEが
続いていたので、

ちょっと心配になり、
また病院に電話して聞いてみました。


すると看護師さんからは、
まだ術後だし、
2回も全身麻酔をしているので、
普通よりも通常に戻るのが
遅くても心配はないと思います。
徐々に良くなりますよ。

との返事でした。

旦那にも、
徐々に良くなるって。
無理せずゆっくりね。

と伝えました。


【10月30日】

手術後2日目。

朝からLINEが来て、
だいぶ誤字がなくなっていたので、
とても安心しました。


9時から抗生剤の
点滴が始まったようで、

その報告なども
こまめに連絡をくれました。


自分の顔の写真が送られてきて、
右目が開かないよー」と。

手術直後から、
右目の瞼はむくんで腫れていて、
色も紫色の状態でした。

でも、私が見た感じ、
術後よりはだいぶ腫れは
引いていたので、それを伝えました。


すると、
目が開いたら見えるってことかな?

今頑張って目を指で少し開けてみたけど、
全然見えないんだけど...真っ白のまま...


とのLINEが来て、
私は一気に嫌な予感がしました。

なにか勘違いしてる?


私:「この前の手術は、
目を治す手術ではなくて、
検査の為の手術だから、
まだ目は見えない状態のままだよ。


旦那:「そうなの?
じゃあ、次は目の手術をするってこと?
もう手術は終わったのに?


何だか会話がかみ合わず...


2回目の手術は、
目を治す手術をしたと思ってる?
と私は予想し...


私:「もしかして2回目の手術のこと?
あれは、目を治す手術じゃなくて、
頭の中に血が溜まってしまったから、
それを取る手術をしただけだよ。


旦那:「え、俺2回手術したの?

私:「そうだよ。覚えてない?

旦那:「知らない。

私:「2回目の手術の後は、
お母さんとお姉ちゃんも
来てたんだけど覚えてない?


旦那:「全く知らない。いつの話?


ここで術後の旦那の記憶が
全く無いことが判明しました。

1回目の術後も、2回目の術後も、
私と話したことも、
義母や義姉が来て話したことも、
全く何も覚えてないことに気付きました。


あれだけしっかり会話したのに、
全く覚えてないんだ...
と少し心配にはなりましたが、

麻酔が完全に切れてなかったし、
まだ朦朧としていた時に喋ったので、
仕方ないことなんだろうな。
と自己解決していました。


旦那は、2回手術したと聞いて、
少し混乱しているようだったので、
あまり今は話さないでおこうと、
話の内容を変えました。


ただ、また午後になって、

旦那:「俺はどこの病院に居るの?

私:「病院は変わってないよ。
でも、病棟の階と部屋が変わったから、
違う場所に居るみたいかな。



旦那:「目が開かないんだけど。

私:「まだ術後だから、少しずつだよ。

旦那:「目が開いたらちゃんと見えるかな?

午前中と同じ質問に、
ちょっと心配になっていました。


看護師さんが旦那の体を
拭いてくれようとしたみたいで、
お尻を見られ、、、

お尻の脂肪腫を見た途端、
ちょっと他の人呼んできます。
って焦って出て行ったらしくて、

他の看護師さんが来て、
お尻はどうしたんですか?
って聞かれたみたいで、

脂肪腫ですけど、
もう外科の先生に診てもらって
手術も決まってます。

と旦那は答え。。。


※このやりとりを看護師が変わる度に、
3回以上も繰り返すことになりました。


これもカルテに書かれてないのかな?
やっぱり情報共有されてないのかな?
とまた少し疑問に思いました。


【10月31日】

手術後3日目。

この日は朝から、
4人部屋への移動。

大部屋に移動できるということは、
少し状態が良くなっているということ。


部屋の移動中に、看護師さんから、
手術2回もしたから、
ちょっと移動が遅くなりましたね。
でも、だいぶ良くなりましたね。

って言われたみたいで...

俺って手術2回したの?
知らないんだけど。
」と
旦那からLINEがきました。

私は正直、さすがに
とても不安になりましたが、
また同じように返事をしました。


そして、部屋を移動した後に、

頭の包帯やガーゼが外されて、
初めて自分の傷跡を鏡で見た旦那。

傷の長さや範囲に
ビックリした様子で、
写真が送られてきました。


傷口を見るのは、
私も初めてだったので、
ちょっと衝撃でしたが、

それよりも旦那の気持ちが心配で...。


検査の手術だけで
こんなことになるんだ。

とショックを受けていました。

検査の手術では、
前のおでこの傷だけだったけど、
2回目の手術で、
仕方なく後ろまで切ったんだよ。


この私の説明で、
また旦那の気持ちを
少し不安定にさせてしまい、
とても反省しました。



手術直前からの記憶がないこと、
手術が終わっても目が見えないこと、
そして大きな傷口。

旦那は、
なかなか受け入れられずに、
だいぶ混乱しているようでした。


記憶などに関して、

どこまでが術後の症状として
大丈夫な範囲なのか、、、

どこからが少し
異常な状態なのか、、、

私にも分からなくて、
不安になっていました。


つづく。



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手術が終わり、
先生から最悪の結果が聞かされ、

私は大泣きしながら、
2時間半かけて帰宅中、、、

私の母からの着信。


コンビニに寄り、
泣きながら電話をして、
もう上手く説明もできず。

とにかく今は無事に帰ってきて。
そう言われて、私は必死に
冷静さを取り戻そうとしていました。


母が報告したみたいで、
叔母からも心配の連絡があり、
大丈夫?ちゃんと帰って来れる?

旦那の心配をしていたはずのみんなが、
いつの間にか私の心配をしてくれていました。


家に帰りたいけど、
帰って1人で過ごすのは、
今の私には耐えられない気がする。

このまま実家に帰ろうかな。


なんて考えながら、、、


旦那の家族にも
ちゃんと報告しなきゃ。

電話じゃ説明できない気がするから、
直接会ってちゃんと伝えなきゃ。


母や叔母と話をしたからか、
急に冷静な自分が出てきていました。


義母にLINEで、

手術は予定通り、
無事に終わりました。


遅い時間に申し訳ないけど、
帰りに寄っても良いですか?


帰りにそのまま
旦那の実家へ行くことにしました。


この時の私は、今思うと、
報告しなきゃという気持ちよりも、
ただ誰かに会いたい。聞いてほしい。
という気持ちが大きかった気がしています。



あまり遅くならないように、
途中から高速に乗り、
夜10時頃には旦那の実家へ到着。


玄関を開け、
義母の顔を見た瞬間に、
私は、また号泣。

そんな私を見て、
全てを悟っているようでした。

義姉も待っててくれて、

私が泣き止むまで、
2人も一緒に泣いてくれました。


そんな2人を見ていると、
私がしっかりしなきゃ。
また冷静な自分が出てきて、

入院中のこと...
今日の手術のこと...
先生に言われたこと...
手術後の旦那の様子...

全てを話しました。


2人とも言葉を失い、
無言の時間が流れました。


義母が、
あの子から直接LINEが来て、
悪性の可能性が高いって聞いて、
それからずっと眠れなくて、

色々調べて、
あの子は40歳まで
生きられないかもしれないって
考えてしまってね。

なんであの子なのって
可哀想で可哀想で...

えりかちゃんにも申し訳ない。
そんな体に産んでしまって本当にごめんね。
できることなら私が変わってあげたい。



みんなで泣きました。

私も、今は泣いていいんだって
思えて涙が止まりませんでした。


実家に着いて、
20分が経った頃、、、

私の携帯に着信が。


登録してない番号でしたが、
嫌な予感がして出てみると、

〇〇さんの奥様ですか?
大学病院の入院病棟からですが...

ご主人の容体が急変しました。
麻痺が出ていて、意識が低い状態です。
すぐに来てください。



もう私は頭が真っ白になり、
泣き崩れ、取り乱してしまいました。


電話の内容を2人に伝え、
普通の状態じゃない私を見て、

義母や義姉も焦って、
絶対大丈夫!信じよう!
一緒に行くからね!


と言ってくれて、
運転して病院まで
連れて行ってくれました。


22時半には出発して、
高速に乗って向かう途中に、

脳外科執刀医M先生から電話。


手術した場所とは
別の場所から出血していて、
非常に危険な状態です。

意識障害があって、
このままだと致命的です。


今から緊急手術をしても良いですか?

本当はこちらに来てもらって、
同意書を書いてもらうのですが、
遠くから向かってると思うので、
それだと間に合わないので、


電話での説明だけで、
口頭で同意をもらっても良いですか?



私は、
はい。すぐにお願いします。
よろしくお願いします。


義姉が急いで運転してくれて、
深夜0時に病院に到着。


7階へ上がり、
看護師さんに状況を聞くと、、、

23時から手術に入っています。
そこから5~6時間かかります。



20時半頃の確認で、
反応や状態に少し異常が出て、

それから21時頃には、
左側に麻痺が出て、
意識が低い状態になりました。

それで、先生の判断で、
CT検査などをしたところ、
出血していることが分かりました。



もう私はそれを聞いただけで、
更に旦那のことが心配で心配で...


私が病院を出たのは20時過ぎ。

あの時に、
旦那から呼ばれているような感覚がして、
何だか帰っちゃいけない気がして、
しばらく帰れなかったことを思い出しました。


私が病院を出てすぐに異常が...

あの時、旦那は必死に私に
何か伝えようとしてたのかなと思うと、

帰らなければ良かった」と
本当に後悔しかありませんでした。


看護師さんから渡された同意書。
あとで先生から
直接説明を受けると思いますが、
目を通しておいてくださいね。



そこには、
急性硬膜外血腫という診断名が。

旦那の状態や、
危険性・合併症に関することが
色々と書かれており...


意識障害と左半身麻痺を認めます。

術後も、
新たな神経症状の出現や
半身麻痺・意識障害が
持続することがあります。

そう書かれてありました。


病院に向かう車の中...
緊急手術の最中...

私は本当に
色々なことを考えていました。


助かってほしい。
絶対生きてほしい。


そう願い続けながらも、
本当に辛そうで苦しそうな
術後の旦那の姿を思い出し...


もし今、助かっても、
今後は治療でまた辛い思いをする。
そしてそれに耐えても治らない。

生きてほしい、
助かってほしい。

という願いは、
私の望みであって、
私の勝手なエゴかもしれない。


旦那が辛い思いをせずに
楽になれるのならこのまま...

そうすれば、
私だけが辛い思いをすればいいだけ。

旦那が苦しむくらいなら、
旦那を失って、私だけが苦しめばいい。

なんて考えてしまった時間も
正直ありました。。。


でも、
そんなことを考えている自分にも
耐えられなくなり、

泣いたり、ボーッとしたりを
何度も繰り返していました。


旦那を失うかもしれない恐怖。
病名を断言された絶望感。


こんなドラマみたいなこと、
テレビで見るような状況って
本当に現実に起こりえるんだ...

なんていう、
地に足が着いてないような
フワフワした感覚の中に
居る時間も多々ありました。



義母や義姉が寒がってる中、
私の体は何故か熱くてたまらず、

窓のところに
風に当たりに行きました。


外の冷たい風を浴びて、
真っ暗な外を眺めている内に、

何故だか分からないけど...


大丈夫!絶対大丈夫!
絶対助かる。絶対死なない。
まだまだ一緒に居たい。

フッと気持ちが急に軽くなり、
絶対私がどうにかする!

もし麻痺が残っても、
目が見えなくなっても、
私がどうにかする。


だから絶対に生きててほしい。
もう生きててさえくれれば
何だっていいから。


私のエゴでも何でもいい。
お願いだから生きて。
どんなことがあっても
私が幸せにする。

絶対に私が長生きさせる!
絶対に死なせないから。



急にすごく不思議な感覚になり...

その瞬間、
私の覚悟が決まりました。

今でも、あの時の感覚は
本当に不思議です。


そこから、
自分でもビックリするほど、
自分の言動が変わり、

それからは全く泣かずに、
不安や恐怖も顔から
消えていたと思います。


手術が始まり、
6時間が経過...

朝方5時になっていました。

看護師さんが、
手術が終わりましたよ。
って伝えにきて下さり、
本当に安心しました。


先生と看護師さんが、
旦那をこちらまで運んできてくれて、

無事に終わりましたよ。
心配しましたね。
もう大丈夫ですからね。


先生は命の恩人だ...
先生が救ってくれたんだ。

1日に2回も手術してくれて、
こんなに長い時間...
そして昼間の手術に加え、
真夜中から朝まで...
本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。


旦那に声を掛けると、
すでに目が覚めていて、
私を見てすぐに左手を出して
手を強く握ってきました。

私は、左手がちゃんと動いてる
という安心感でいっぱいでした。


義母や義姉を見た旦那は、
なんでいるの?
朦朧としていた目がパッチリ開いて、
かなりビックリしていました。


顔色も良くて、
肌の色もキレイで、
意識もしっかりしていて
すごく落ち着いている旦那を見て、
本当に安心しました。


それと同時に、、、

最初の手術後とは
旦那の様子が全く違い過ぎて、

やっぱりあの時は、
何かおかしかったんだな。
って思いました。


その後、
先生からの説明を受ける為に、
義母も義姉も連れて別室へ。


出血していた時の
画像を見てビックリ。

3分の1以上、半分ほどまで、
出血が広がっていました。

術後の画像を見ると、
それが跡形もなく、
本当にすごくキレイに出血が
なくなっていました。

何度も何度も
M先生にお礼を伝え...


1回目の手術では、
あまり傷口が目立たないように、
生え際半分だけを切ったのですが...

2回目の手術では、
仕方なく後ろの方まで
大きく切りました。



しかし、今回の出血は、
手術をした場所とは違う部分で、
私も初めて見たケースです。

正直、原因が分かりません。

考えられるとするなら...


と、色々と詳しく
説明して頂きました。


麻痺があった部分も
全て良くなってるので、
安心して大丈夫ですよ。


もう本当に安心しました。


その後、
旦那の病名や種類について、

義母や義姉にも、
説明くださって...


神経膠腫、ステージ、進行がん
、治らない、悪い状態という言葉...

それを聞くだけで私は、悪夢が
フラッシュバックしてくるような感覚。

でも、「絶対大丈夫!」
もう覚悟が決まっている自分。


色々な感情になりながら、
悪い状態というのは、
グレード4の可能性が高いんですか?


怖くて聞けなかったとを聞いてみました。


すると、先生は、
私の泣きはらした姿に気付いていて、

それはないですよ。

本当は結果が出ていないのに、
私がこんなことを
言ってはいけないんですけど、

多分奥さんが色々と
悪い想像ばかりしてしまって
とても辛そうなので...

私たちは2か3と予想しています。

3と4ではかなりの差があるので、
4ではないですよ。



“グレード4ではない”
と言ってくれただけで、
私はものすごく前向きになれました。

そして、

平均余命なんて関係ない!
3年とか5年じゃ旦那は死なない。

10年、15年、
いや20年、絶対に生きれる。


また改めて覚悟が決まりました。


説明を終え、
1人ずつ面会できる
許可を出してくれました。


まず私が行くと、、、

左目しか開いてないし、
言葉もゆっくりだけど、

意識はハッキリしていて、
全く辛そうじゃない穏やかな旦那でした。


私:「大丈夫?痛いとこない?」 

旦那:「うん。大丈夫。痛くない。

私:「頑張ったね。お疲れ様。
もう大丈夫だからね。



旦那:「お腹空いた!

思わず笑ってしまいました。

旦那も笑いながら、
次のご飯いつ?早く食べたい!

もうその姿に、
私はかなり安心して、
うれし涙が溢れました。


その後、義母や義姉も旦那と面会。

旦那は義母に、
迷惑かけて心配かけてごめん。
病気になってごめんね。

と言ったみたいで、
戻ってきた義母は泣いていました。

そんな言葉も言えるほど、
意識はしっかりしてるだなと
私は全てを前向きに捉えていました。


また最後に、
帰るね。またすぐ来るからね。
と私が言いに行ったら、

また明日ね。ありがとう。
と笑って答えてくれました。


看護師さん達からも
色々と優しい言葉を掛けて頂き、
旦那を任せて病院を出ました。

すでに朝6時を過ぎ...
外は少し明るくなっていました。


私の感情は落ち着いていて、
色んな覚悟が決まっていて、
穏やかな気持ちで帰れました。


つづく。



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手術が終わり、
先生からの説明を待ちました。


正直、私は、
悪性の可能性があると言われてから...

「胚細胞腫」や「神経膠腫」
という病名を聞いてから...

ネットでかなり調べていました。


どちらの病名でも悪性腫瘍。
そして、予後の悪い種類が多い。


その情報だけを見てると、
悪い方にしか考えられなくなるので、

まだ検査してみないと分からない!
良性の可能性だって、まだ全然ある。

と旦那や自分に言い聞かせて、
必死に前向きに考えていました。


でも、その時の私は、
それぞれのグレードや種類、
そして予後や生存率について、
だいぶ頭に入っている状態でした。


看護師さんに呼ばれ、
別室に案内されると、、、

そこには、
脳外科執刀医のM先生と、
脳外科主治医のE先生の姿が。

恐る恐る席に着くと...


術前と術後の画像を見せられて、
今日の手術の説明。

検査に出すために、
腫瘍の一部を取りました。


この腫瘍が無くなっている部分が
今日の手術で取った部分です。


CT画像の腫瘍部分には、
数ミリ程の穴が開いたような感じで、
腫瘍が消えていました。

でも、旦那の腫瘍は
直径3~5センチくらい。

数ミリが消えても、
まだかなり残っている状態でした。



そして、先生が、
手術で取れる部分は取りたかったけど、
ちょっと取れる状態ではありませんでした。

視神経に腫瘍が
完全にくっついていました。

そして、最初は視神経の中から
腫瘍ができてしまったようで、
そこから下垂体の部分まで
大きくなっていることが分かりました。

下垂体から出来た腫瘍が
視神経を圧迫しているだけなら、
目の回復もあるとは思いますが、


視神経からできた腫瘍なので、
もう視神経にとってはだいぶ悪い状態かと...



少し難しい話が続きましたが、、、

思っていたよりも悪かった。

私はそう捉えていました。


そして、先生は説明を続け...

今日直接見た感じ、
神経膠腫だと思います。

神経膠腫には、
グレードが4つあって、
1の場合は摘出すれば治ります。

しかし、旦那さんの場合は、
1という可能性は無いと思います。

グレード2~4。
この内のどれかになります。


その場合だと、
治ることはない癌です。

治療をしても、
必ず進行していく癌なので、

例えば、今は
グレード2だとしても、
年々3、4と進んでいきます。



もうこの時の私は、
何を思ったのか覚えていません。

ただただ絶望。


治らない。
進行していく。


その言葉が頭の中で
繰り返されていました。


その中でも、
どのグレードに近いんですか?

と私が聞くと、

それは1週間後の結果で分かります。
まだ、ちゃんと答えることはできないけど、
だいぶ悪いと思ってた方が良いと思います。


もう私は先生の言葉に、
どんどん絶望を感じでいました。


悪いということは、
グレード3かグレード4...

神経膠腫の場合、
3の平均余命は3年。
4の平均余命は2年。


その情報をすでに知っていた私は、
もう頭がおかしくなりそうでした。


完全には治らなくても、
治療は出来るんですよね?


私は震えながら聞いていました。

もちろん治療はしていきます。
放射線と抗がん剤治療で、
悪い場合だと2年は続きます。



2年治療して、
余命が2年。。。

私は最悪のパターンを考えていました。


旦那が入院して手術までの1週間、

コロナのせいで、
全てにおいて制限があり、

入院したら、会えないし
話しもできない状況ということが
痛いほど分かっていたので...


その大事な2年間を
会えずに離ればなれで
過ごすことになるのか...

そう考えると、
現実逃避したくなる程でした。


先生に何を聞いても、
悪い返事しか返ってこないので、

私はもう、
先生に何も聞けない状態に
なってしまいました。


そして、何より、
旦那の精神状態が心配。

本人には悪いという結果は
言わないでもらいたいです。

予後のことや、
絶対治らないとか、
そういう言葉は本人には、
言わないようにしてほしいです。

それを知ってしまうと、
治療を受けない、家に帰るって
言い出すと思うので。


私はそれだけは、
必死にお願いしていました。


それは大丈夫です。
患者さんの治療に対する
ヤル気を失うようなことは
絶対に言いません。

余命なんてものは、
正直誰にも分からないし、
そんなことは一切言いませんよ。


先生は優しく話をしてくれてるけど、
その言葉の全てが私には悲しかった。


この後、面会して良いので、
旦那さんに会って帰ってくださいね。


そう言われて、
旦那の居る部屋に案内されました。


あんなに部屋での面会は
特に禁じられていたのに...

面会許可が出るくらい悪いんだ...

という状況を
私は嫌なほど感じていました。


旦那は朦朧としながらも
目が覚めていて、
少し会話もできる状態でした。


頭は包帯とガーゼで巻かれていて、
体からは数えられない程の管が...

病衣1枚を羽織ってるだけで、
ほとんどめくれて裸の状態でした。

私は、病衣を整えながら、
手術終わったよ。
お疲れ様。頑張ったね。



私は旦那の前では
絶対泣きたくなかったので、
その言葉を発するだけで精一杯でした。

顔を見るだけで、
涙が溢れてくる状態。

でも、旦那には
絶対バレてはいけない。


旦那は目を閉じながらも、
頭が痛い。」を繰り返していて、
すごく辛そうな状態でした。

しかし、看護師さんからは、
痛み止めは術後に入れてるので、
あと4時間は入れられません。

と言われ...


でも、どんどん痛みが
かなり増してきてるようで、
意識が朦朧としながらも、
頭が痛い。頭が痛い。

ずーっと繰り返しながら、
私に訴えてきました。

えりちゃん頭が痛い。


それを聞いてた看護師さんも、
ごめんねぇ。
あと4時間は我慢なんですよ。



痛みに耐えられず、
頭を触ろうとしたり、
体を動かしたりするので、

申し訳ないけど、
ちょっと危ないので、
手足を固定させてもらいますね。


看護師さんはそう言って、
両手両足を固定し始めました。


手足が動かせない旦那は、
更に大きい声で、
頭が痛い。痛い。痛い。

そう何度も繰り返して、
本当に辛そうで...


さすがの私も我慢しきれず、
涙が止まりませんでした。

こんなに痛くて辛い思いをしてまで、
治療を頑張ろうとしているのに、
それでも治らないなんて...

そんな可哀想なことあるの?

こんなに頑張ってるのに...


こんなに頑張っても治らないなら、
もうこんな辛い思いはさせたくない。
このまま連れて帰りたい。

旦那に残されている大事な時間。

もう頑張らなくていいよ。
そう言ってあげたい。

正直、私はそう思っていました。


目の前には、
痛そうで辛くて苦しむ旦那。

看護師さんが、
30分ごとに状態確認をしているので、
ちょっと奥さんはこちらにすいません。

と少し離れた所に案内されました。

右手で握ってください。
左足を動かしてください。
ちょっと光を当てますね。
など、体の反応をみているようでした。


すると、
看護師さんが急に慌てだし、
他の看護師さんを呼び、
何だか慌ただしい雰囲気に。

私は聞こえてくる声に、
何事かとビックリしました。


看護師さんたちが
すぐ先生を呼んで!
と先生に電話をし始め、

右目の瞳孔が反応しません。
すぐに来てください。



それを聞いた私は、
え?それは手術前からだけど...
って思っていたら、

先生も、
それは術前から経過観察中なので、
そのまま経過を見てください。

と落ち着いた答え。


看護師さんたちは、
え、そうだったんだ。ビックリした。

そして、私の所に来て、
右目は見えてないんですか?
と看護師さんたちが聞いてきました。


はい。見えてません。

そう答えながらも、
やっぱり連携が取れてないのかな...
と不安になりました。

入院の階数が変わったとしても、
カルテなどで情報が引き継がれないのかな?
と疑問に思いました。


旦那は辛そうにしながらも、
あまり目を開けなくなり、
このまま眠りそうだなー。
という状態に。


もう私も旦那の姿を見るのが、
だんだん耐えられなくなり、

じゃあ、帰るね。また来るね。
ゆっくり寝てね。

と声を掛けて部屋を出ました。


部屋を出た途端、
もう抑えていた涙が溢れだし、

看護師さんに気付かれ、
心配して優しく声をかけてくれました。


どんなことでも話を聞きますから。
いつでも看護師を頼ってくださいね。


奥さんが倒れないように
絶対に無理はしないでくださいね。


看護師さんの優しさに、
すごく救われていました。

でも、看護師さんは
旦那の病状をあまり知らず、
そこはやっぱり少し疑問でしたが...



ありがとうございます。
よろしくお願いします。

とだけ伝え、私は病院を出ました。


車に乗った瞬間、
私は声をだして泣きました。

無理。嫌だ。耐えられない。
もう自分が自分じゃなくなるほど、
感情を抑えきれずに泣き続けました。


その間に、
母や義母や叔母や友達、
旦那の手術後を心配している
みんなからの連絡が入っていました。

私はそれも返せる状態ではなく、
頑張って家に帰らなきゃ。
そう思っていました。


でも、帰ろうとすると、
ものすごく旦那から呼ばれているような、
帰っちゃいけないような不思議な感覚がして、
しばらく帰れずに駐車場にいました。


夜8時を過ぎ、
さすがに帰ろうと思い出発。

出発する時も、
旦那と離れたくないという気持ちで、
もう泣きながら運転してました。

あんなに2時間も大泣きながら
運転したのは初めてでした。



つづく。



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【10月28日】

いよいよ手術当日。

旦那は、朝7時から、
血圧や体温を測り、尿検査も。

そして、8時から、
水分制限が始まり...
(※食事制限は前日の夜からでした。)

9時から点滴が開始。


旦那は、
だいぶ明るく元気に戻ってて、
とても前向きなLINEが来ていたので、
私はすごく安心していました。


そして、私は9時頃に出発。

手術の開始時間は、
旦那は2番目なので、
1番目の人が終わり次第。

だいたい13時前後で、
早くて12時頃から。

奥さんは12時までには
来てた方が良いかな。


そう言われていたので、
12時までには着く予定で出発しました。


向かってる途中、
11時からに早まるかもって
看護師さんに言われた。

って旦那からのLINEが入り、

まだ全然着かないよー!と焦り、
慌てて途中から高速に乗りました。

そしてギリギリ11時前に到着。


もうすぐ呼ばれます。
と言われ続け、、、

そこから2時間40分も
エレベーターの前にあるソファで
ずーっと1人で待たされ、、、

呼ばれたのは結局13時半。


旦那さん移動します。
エレベーターで会えますからね。

と看護師さんに言われて待っていると、

看護師さん2人に連れられて、
点滴しながら旦那が歩いてこちらへ。

そのままみんなで
エレベーターの中へ。

他の人も乗ってて、
かなりギュウギュウ状態で、
旦那とほぼ会話もできず。


入院している6階から、
手術室がある4階に降りて、
エレベーターを降りた瞬間、
奥さんはここまでになります。

もう私は、
えーーー!
2時間半も待たされて、
たったこの1分だけー!?

って正直心の中でツッコみました。笑

頑張ってね。待ってるね。
と旦那に声をかけて、
看護師さんに連れて行かれました。


そして、私は看護師さんに
コロナの関係で、
手術室前の家族控え室は
今は使えないんですよ。


手術後は7階での入院になるので、
7階の談話室で待機して頂きます。


手術が終わったら、
少し面会はできるとは思いますが、
階数が変わるとやり方も違うので、
7階の看護師さんに従ってください。


6階にある荷物を、一旦全て
奥さんに預けても大丈夫ですか?


と言われ・・・


私は7階へ移動。

談話室に入ると、
手術待ちと思われる家族が4グループ。

え、これなら
それぞれの手術部屋の控え室で
別々に待ってた方が
感染リスクは低くないかい?

と、かなり疑問に思いました。


そして、コロナの為、
説明や手術の付き添いは
1人までって言われていたのに、
他の家族は2人~4人ずつ居る。

1人で待つのは、私だけでした。笑

もうツッコミ所が多かったけど、
仕方ないので私も待機を始めました。


手術が終わるのは5時間後。
18時半までの予定でした。


看護師さんが旦那の荷物を
全部持ってきてくれたので、

私はそれを、
ゆっくり整理して時間を潰しました。

いつもの几帳面な旦那とは思えないほど、
バックの中身がグチャグチャで...

キレイに詰めてないから、
持って行った時の倍くらいに増えてる感じ。

それを見て、
ちょっと心配にはなりましたが、
そのお陰で1時間くらい経ちました。


それから、ひたすら待ち。

また更に2家族くらいが増え、
談話室の密集度にビックリ。


17時頃になり、、、

他の待ってた家族が、
もうすぐ手術が終わって、
こちらに移動して来るので、
エレベーター前でお待ち下さい。

と呼ばれていました。


その後、手術を終えた患者さんが
エレベーターから降りてきてました。

エレベーター前で、
声をかけていた家族。

1分も経たない内に、
じゃあ、ご家族はここまでになります。
分かりました。宜しくお願いします。
という会話が聞こえてきて、


えーーーー!?
手術が終わっても、
それだけしか会えないのー!?

心の中で叫びました。笑

旦那が入院してからずっと、
私は更に、コロナを恨んでました。

もしコロナじゃなかったら...
何度も何度も想像してしまいました。



そして、いよいよ18時半。

他の家族は、
すでに帰っていて、

待っているのは、
私1人になっていました。

もうすぐ終わるので、こちらの
エレベーター前でお待ち下さい。

と、看護師さんに言われ待っていたら、

他の看護師さんが
たまたま通りかかって、
多分術後CT撮ってるはずだから、
あと20分はかかるはずですよ。

と言われ・・・

時間や内容の違いに
何度も振り回され過ぎて、
私はちょっと疲れていました。


あー私も1分しか会えないのかー...
なんて考えながら、
エレベーターの階数表示を
見ながら待っていると、

案内されたエレベーターとは全然違う、
だいぶ遠い逆側のエレベーターから
旦那が運ばれてきました。


そっちのエレベーター前で、
先生が私を探していたみたいで、
遠くに私を見付けて、
こちらまで運んできてくれたようです。

さっき案内してくれた看護師さんに、
看護師さん、なんでよー!?
ってまたツッコみたい気持ちでした。笑



先生から、
手術は全て予定通りに
無事終わりましたよ。
もう意識はあるので、
声を掛けてあげてください。

と言われ、

旦那に声を掛けると、
うっすら目を開けて、
私が分かっているようでした。


頑張ったねー。お疲れ様。
そう声を掛けただけで、

じゃあ、部屋に運びますね。
と言われ・・・

私は思わず、
もう面会はできないんですか?
と聞いてしまいました。


すると、看護師さんから、
先生から面会の許可は出てるんですけど、
その前に先生からの説明があるみたいなので、
少しお待ちください。
」と言われました。


私は何だかすごく嫌な予感。


今日は説明は無くて、
1週間後の検査結果が出てから、
また呼びますって言われてたのに...

それに、他の家族は
一瞬しか会えてないはずなのに、
なんで私だけ面会の許可が出てるの?


自分の中で、
必死に誤魔化していた
不安や恐怖が溢れてきて、
もう動悸が止まりませんでした。

そして、5分後に、
看護師さんに個室に案内され...


つづく。



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【10月27日】


深夜3時に寝て、
朝5時には採血で起こされ、
旦那は寝不足で疲れ果ててました。

しかし、朝から、
お尻の脂肪腫を見てもらう為に、
形成外科を受診。


そちらの手術は、
11月11日に決定。

形成外科の担当医T先生は、
とても優しくて面白い人だったみたいで、
旦那も安心していました。

脂肪腫の方は、
普通に簡単な手術をして
全て取れば問題ないとのことで
とても安心できました。


もっと早くに受診してもらってたら、
明日の頭の手術の日、全身麻酔をしたついでに、
お尻の方も取ってしまえたんだけど...

もう明日は予約で埋まってるから、
私が無理なんですよ。すいません。

お尻の手術でも
全身麻酔をかけてあげたいけど、
明日の手術で1度全身麻酔を使うから
すぐ2回目をするのは、
体への負担が大きくなるから、
申し訳ないけど局所麻酔になります。

でも、退院してまた来るのは大変だろうから、
手術は入院してるに終わらせた方が良いよね。
早めに予約入れて入院中に終わらせるようにするね!
11日だったら、まだ入院中かな。
」とのことでした。



旦那も私も、
えーーー!それなら、
受診の予約を早く入れてほしかったー!
というか、お尻の手術も一緒に出来るほど、
頭の手術は簡単なものなの?


退院してしまう前に早めに予約を入れて、
11月11日に手術するってことは、
その後くらいには退院ってことなの?


色々と疑問だらけでしたが、
もう仕方ない。先生に任せよう。
という気持ちでした。



その後は、
心臓の検査をしてくれた女の先生が来て、
心臓は何も異常なし。
少し小さいけど元気に動いています。
子供の頃からの疾患も無いです。
」との
結果説明があったみたいで一安心。


そして、
脳外科主治医のE先生からは、
首から下には何も異常なし。」との
結果説明があり、更に安心できました。


でも、その後、
内分泌内科の担当医U先生が来て、
扁桃腺の大きさが気になるから、
一度検査してもらいましょう。
」とのこと。

首から下は異常なしだったけど、
そこに扁桃腺は
含まれてなかったみたい。笑


旦那も私も、
「また検査かー!」
っていう気持ちになったけど、

「ここまで全身調べたなら、
もうこの際とことん検査してもらおう!」
という気持ちに切り替えました。


先生達からの説明は
15時からの予定だったので、
私は、12時過ぎには出発。


私が病院に向かってる時に、
麻酔科の先生などが説明に来て、

次から次に同意書を渡され、
私が着く頃には、8種類もの同意書が。

旦那には、内容も多くて、
難しくてよく分からないから、
奥さんが来てからサインして出します
って言ったみたいで、
すでに疲れ果てていました。


私が到着して、
30分ほど別室で待たされ、

説明の部屋に行ったら、
旦那の姿もあり、

「大丈夫?」と声をかけると、
笑顔だけどボーッとしてる様子でした。


脳外科執刀医のM先生。
脳外科主治医のE先生。
内科の担当看護師さん。


この3名が揃って、
説明が始まりました。


入院してから撮った、
CT画像やMRI画像、
血液検査の結果を見ながら、
様々な説明を受け...

旦那に出ている症状についての話に。


まず、1番影響しているのは、
尿を溜める指示を出す
ホルモンが出ていないので、
“尿崩症”と言って、
尿が大量に出てしまう病気です。


水分が出た分、水分不足となり
常に喉が渇く状態です。


現在は、1日に
5リットルの尿が出ている。
だから、それ以上の水を
ちゃんと飲まないといけない。


これは今後、薬で調整していきます。
とのことでした。


もう数年前から、
飲む量がかなり多かったので、
その原因や理由が分かって、
全てが繋がり、とても腑に落ちました。


大量に飲んだから出るのではなく、
大量に出るから喉が渇く。

そこが私たち勘違いでした。


そして、翌日の手術の内容など。

おでこの生え際を切って、
そこから内視鏡で腫瘍の一部を取る。


手術は全部で5時間くらい。

その後、1週間後に
検査結果が出て病名や治療方法が決まる。


というような感じで、
詳細説明が続きました。

説明の間、
終始ボーッとしていた旦那。


先生がそんな旦那の様子を見て、
元気が無さそうに見えるけど、
それも全てホルモンが出てないからなんですよ。
今後ホルモンは、薬や注射で足していくので
体も気持ちも元気になれますからね。


昨日の夜、U先生に、
胚細胞腫で悪性の可能性がある
って言われたみたいで、
そこから落ち込んでしまって...

って私が説明すると、


あーそうだったんですか。
今はネットですぐ調べられるから
悪い情報も目にしてしまうからね。


でも、まだ何も分からないから。
でも、僕は胚細胞腫ではなく、
神経膠腫という腫瘍かなって思ってます。

ってサラッと言われ、、、

その場合の治療などを聞くと、
悪性の場合は、
放射線と抗がん剤での治療になります。

病名やグレードによって全然変わるけど、
期間は半年~2年くらいです。


私はショックを隠しきれず...


下垂体腺腫で良性の可能性が
高かったんじゃないですか?
」と
私が少し焦ったように聞くと、

いや、まだ検査してみないと
何も分からないからねー!
」と
軽く流された感じでした。


そして、視力の話になり。

目は見えなくなってて、
今では左目の半分しか見えてない状態です。


その見えてない部分を治すというよりは、
今見えてる部分を守るという目的になります。


見えない部分を治す為に手術して触るのは、
あまりにもリスクが高いんです。


今見えてる部分も全て見えなくなって
完全に失明するというリスクを考えると、
その選択肢は選べません。
」との説明。


もう正直、私はそれだけで、
どん底に突き落とされた感覚でした。

もう目は治らない。
私はそう解釈しました。


そして、それを
聞かされた旦那が心配。

しかし、旦那は何だか上の空で、
先生の話が入ってきてない様子でした。


色々な難しい説明が終わり、
最後は緩い雰囲気での会話がありました。

そこで、形成外科のT先生から
言われたことを伝えると、


いやいや、頭と脂肪腫の手術を
一緒にするなんて考えられないよ。
形成外科の先生は何を考えてるんだろ。


んなら、形成外科での手術は、
脳外科での手術や治療が終わって、
退院してから、別で外来で来た方が
本当は良いくらいだから。


と、脂肪腫の手術に対しては、
少し否定的な意見で困惑しました。



先生たちとの話が終わり、
次は、手術の準備について
内科の看護師さんからの説明。


看護師さんと立ち話をしていると、
内分泌内科の担当医U先生が走ってきて、

説明は終わりましたか?
体調は大丈夫ですか?


とりあえず座った方が良いです。
昨日から眠れてないせいか、
今朝は血圧が更に下がっていて、
上が80しか無いんですよ。
フラフラしませんか?


今朝は尿量も更に増えてて、
朝1回で1リットルも出てるんです。


体重も58キロまで減ってて...
※入院前は63キロくらいでした。

と、U先生からの報告に、
私は不安になり、、、


説明中もボーッとしてる感じでした。
と私が伝えると、

今の体調じゃ、
そうなると思います。


これは病気からではなく
精神的なことが原因だと思うので、
この後の時間は、少しゆっくり
2人で過ごして大丈夫ですよ。


と、面会の許可を出してくれました。


病室には入れないし、
他の人が居る場所には行けないけど、
誰も居ないソファで、
ゆっくり色々と話しをしました。


旦那は終始、
元気が無い様子でしたが、

一緒に同意書を見てサインしたり、
旦那の気持ちをゆっくり聞いたりして、
1時間半ほど一緒に居ました。

翌日に手術を控え、
先生たちからの説明や、旦那の体調で、
離れるのは不安でいっぱいでしたが、
仕方ないことなので、私は病院を出て帰宅。


でも、その後、
旦那は少しスッキリして、
気持ちを切り替えたみたいで、

手術の準備や、
病室移動の為の準備、
実家家族への連絡、

だいぶ明るくなった様子で
過ごしていて私も少し安心しました。


やっぱり直接会って、
ちゃんと顔を見て話すことが
1番なんだなって確信しました。


そして、次の日は...
いよいよ手術当日。


つづく。



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【10月26日】

 旦那が入院して6日目。

この日も朝早くから様々な検査。


採血は、毎朝5時に起こされ...

CTやMRIなんて、ほぼ毎日...
一体何回撮るの?って
ちょっとビックリする程の回数でした。


検査の数が想像よりも多くて、
結果を聞くのが
私は少し怖くなってました。


お昼頃に、内分泌内科の
担当医のU先生
が病室に来て、

明日はお尻の脂肪腫の方で、
形成外科の予約が入ってるみたいだけど、

31日に退院だから、
お尻の脂肪腫の方は退院後に
地元の病院に行ってもらうことになるかな。

って言われたみたいで、、、

え?聞いてた話と全然違うけど!
先に地元の病院に行ったら、
紹介状出されてこっちに来たんだけど...

しかも、31日に退院!?
28日に検査の為の手術で、
しかも頭を切るのに、
31日には退院できるの!?

もう旦那も私も謎だらけでした。


旦那の判断は、
U先生は内科の先生だから、
多分他のことは何も分かってなくて、
さっき言ってたことは全部間違ってるはず。
もう今のは聞いてないことにして、
信じないようにしとく。
」でした。笑


この辺りから、
先生たちや看護師さんたちの
連携が全く取れていないことに、
少しずつ気付き始めていました。



手術の説明を翌日に控え、
私にも先生から時間の連絡があったので、

今日は明日に備えて早めに寝ようか。
明日は一緒に説明を聞くから少し会えるね。

なんて話をしてたのに...


消灯前の夜8時過ぎ頃。

脳神経内科の担当医S先生が、
急にフラッと病室に来たみたいで、

検査結果を色々見たんですけど、
腫瘍は胚細胞腫である可能性が高くて、
悪性の可能性も高いです。


その場合は、
手術では腫瘍は取れないので、
放射線と抗がん剤での治療になります。


私が今まで見た人の中では、
何人かは良くなってるので、
頑張って治療していきましょう。


首から下への転移などは、
無かったのでそこは大丈夫ですよ。


って、急に軽く言われて
すぐに去って行ったみたいで、
旦那からすぐに連絡が来ました。

私も旦那も、
突然のことで頭が真っ白。


腫瘍は下垂体腺腫ってやつで、
良性の可能性が高くて、
鼻から取れる腫瘍じゃなかったの?

そりゃもちろん、
悪性の可能性も無いとは
まだ言えないって言われてたし、
その為に検査をしてた訳だし、
悪性を考えてなかった訳じゃないけど...

先生たちの言葉や雰囲気から、
手術さえ乗り越えれば
全て良くなるって信じてたのに。


もう私も一気に不安になりました。


しかしその何十倍も、
旦那はかなりの恐怖を
感じてしまったようで、、、

かなり落ち込み、
全てをマイナスな方に考え、
ネット検索して悪い情報ばかりを見て、
精神的に急に不安定状態に。


生まれて初めて
“死ぬかもしれない”という現実に立たされ、
治療しても余命宣告があるなら、
もう治療したくない。家に帰りたい。


消灯時間を過ぎたため、
電話で直接話すこともできず、
LINEで送られてくる不安そうな言葉。


もう私は、
病気のことよりも、
旦那の精神状態の方が心配で。

頑張ろうと思ってたのに。
入院も検査も頑張ってたのに。
今まで楽してた罰かな。
自分が癌になるなんて想像してなかった。
治療頑張っても生きれないなら意味ない。

帰りたい。
会いたい。
ごめんね。
もう無理かも。

私から送る言葉は
もう全く見えていないほど、
旦那からの不安な言葉が
次々に送られ続け...

もうこの時の旦那からのLINEを見るだけで、
今でも涙が溢れてきます。


そして、
スマホの電源が切られました。

LINEしても既読にならず、
電話してみたら電源が切れている。

私は更に不安になり、
病室を抜け出したりしてないかな。
変なこと考えてないよね。
もう考えれば考えるほど心配で不安で...


電源が切れて1時間が経つ頃、
さすがに心配で耐えられず、

病院に電話をして、旦那が入院している
ナースステーションに繋いでもらいました。


看護師さんに事情を説明して、
病室に居るかを確認してもらいました。

旦那さんは、
ちゃんとベットの上に居ましたよ。
安心して大丈夫ですよ。

ただ眠れてないようで、
ボーッとしてる感じでした。

先生に急に
そんなこと言われたら不安ですよね。

今日は私たちも気を付けて、
朝まで様子を見ておきますね。


看護師さんの優しい対応に、
とても安心しました。


深夜0時を過ぎた頃、
旦那からLINEが来ました。

私はそれだけで安心できました。


しかし、
旦那の感情は不安定なままで、

今度は、
イライラしている言葉が
次々に送られてきて、

お前には分からん
余計なことはするな
もうどうでもいい
どうせ治らない

私が送る励ましの言葉に対しても、
なにを根拠に言えるわけ?
適当なこと言うな
入院したことないくせに
病気になったことないくせに
どんだけ耐えてると思ってる?

普段の旦那からは
信じられないような言葉に、
私も何て返事をすればいいかの分からず。

旦那は、不安と恐怖から、
ここ数日の入院のストレスを
爆発させてるような感じでした。


私が返事をすればするほど、
怒りが増してるように感じたので、

すごく心配で不安だったけど、
返事をするのをやめました。


すると、
深夜2時過ぎに、
旦那からの長文LINEが。

反省と謝罪と、今の気持ち。


旦那の苦しみ、葛藤や後悔が
痛いほど伝わってきて、

毎日毎日の検査と、
次々に色々な先生たちが来て、
次から次に色々な説明をされて、
もういっぱいいっぱいになっていて...

更には、相部屋のおじさん達の
マナーや気遣いの無さへのストレス、
全てに限界を感じてる様でした。

それを必死に
耐えて頑張ってる中での、
先生からの急な悪い報告。

それで、溜まっていた全てが
溢れ出てしまったようでした。


それを感じて私も涙が止まらず、
本当に心配で、、、
できることなら変わってあげたいし...
何もしてあげられない自分に腹が立つし...

今思うと私も不安定になっていました。


それと同時に、
説明は明日の予定なのに、

前日の夜に急にサラッと
悪い結果を伝えに来た先生にも、
不信感が募り、、、


旦那が弱いだけなの?
そんな悪い結果を、
普通はすんなり受け入れるものなの?

それに、
何人かは良くなってます」って、
先生的にはプラスな言葉を
言ったつもりかもしれないけど、
その言い方は不安になるよ。

と疑問に思っていました。


旦那は、深夜3時頃には、
やっと眠りに付けたようでした。


つづく。



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こちらのリンク記事の続きとなります。



【10月21日】

旦那の入院生活が始まり、、、

初日から、検査や
先生達の挨拶で大忙し。


●脳外科執刀医のM先生
(初診日に診察してくれた先生)

●脳外科主治医のE先生


●脳神経内科の担当医のS先生

(初診日に診察してくれた先生)

●内分泌内科の担当医のU先生


初日は、この先生たちが、
挨拶と説明に来て下さったようです。


旦那は、先生たちがみんな
本当に良い先生たちで安心した様子。

特に、内分泌内科の担当医のU先生は、
年下ですごく優しくて話しやすくて、
U先生が担当で本当に良かった」と
U先生が病室に来る度に言っていました。


そのU先生から、、、

来週の金曜日が
手術ってもう聞きましたか?


28日には腫瘍が取れるなら、
退院も早そうですねー!


そんなことを言われたもんだから、
旦那も私もそれを信じて安心していました...。


初日から、挨拶や説明に加え、
PCR検査大量の採血CT検査
造影剤でのMRI検査尿の検査など、
色々な検査をしていました。

ご飯を食べる時間もあまり無いほど、
大忙しで慌ただしく終わった入院初日。

疲れたからか、旦那も
すぐ眠れたみたいで安心しました。


【10月22・23日】

金曜日からの入院だった為、
翌日からの土日は大きな検査はなく、

荷物を整理したり、お風呂に入ったり、
割とゆっくり過ごせていました。


ただ、尿の検査だけは、
トイレに行く度に必ず毎回。

毎回必ず量を計ったり、
24時間の間は全てを
保存して溜めていったり、

どうしてそんなに
尿の検査が必要なのか、
この時はまだ不思議でした。


【10月24日】

月曜日からは、
また様々な検査が始まり・・・

●朝7時から24時までの間
ずっと5時間ごとの採血。
(毎回30分前から安静状態)

●朝食を抜いてのCT検査。

●毎回の尿の検査。

●耳鼻科での検査。

(この時はまだ、鼻の中から手術して
腫瘍を摘出できる可能性が大きくあったので、
耳鼻科での検査もありました。)

●眼科での検査。

1日の間にこの全ての検査が行われたようで、
お風呂も入る時間がなくなってしまった程、
検査でバタバタと大忙しだったようです。



色々な検査の後に、
主治医のE先生からの説明があり・・・

28日金曜日の手術は、
腫瘍を全て取るのではなく、

病理組織検査といって、
腫瘍の一部だけを取って、
それが良性か悪性かなど、
どんな腫瘍なのかを調べる手術ですよ。


と急にサラッと言われて、
ショックを受けていた旦那。

私もそれを聞いて、
一気に不安になりました。

「内分泌内科の担当医U先生、
全然話しと違うじゃん!」って
だいぶ疑問に思いました。



奥さんにも説明してほしい
と旦那が希望したみたいで、

執刀医M先生からの
手術前日の詳細説明は、
私も同席できることになりました。


そして、火曜日。

【10月25日】

この日は、
仕事を早退して、
荷物を届けに行く日。

旦那に会えるか会えないかは
まだ分からなかったけど、
病院に行けることが安心でした。


旦那は、朝から、
採血尿の検査心臓の検査
CT検査水分検査回診など、
大忙しで頑張っていました。

旦那の検査なども終わり、
ちょうど少し落ち着いた17時頃、
私は大学病院に到着。


ナースステーションに荷物を預け、
旦那からの荷物を預かって帰る。

その間、わずか3分ほど。。。


しかし、旦那から
コンビニ集合で!」とのLINEが。

会っていいの?と思いながら、
1階にあるコンビニで待ち合わせ。


周りのイートスペースを見渡すと、

外来の患者さん達だと
思っていた大勢の人たちは、
ほとんどが入院患者と家族で、、、

普通に会って、
食べたり話したりしていました。


シレッとみんなここで、
普通に会ってるらしいよ。


旦那が看護師さんに
コソッと教えてもらったみたい。

「全く会えない訳じゃなく良かった」
とだいぶ安心しました。


20分くらいだけ話すつもりが、
あっという間に1時間が経ち、
晩ご飯の時間になったので解散。

旦那との1時間が
こんなにも貴重に感じたのは、
結婚して初めてでした。



けど、帰りも1人、
帰ってからも1人。

ものすごい寂しさを感じていました。

それと同時に、
「私は旦那よりももっと頑張らなければ!」
という気持ちで自分に気合いを入れていました。


旦那もこの日までは、
明るく元気に前向きに
過ごしていました。

まさか翌日に、先生から
悪い報告を受けるとも知らずに...


つづく。



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新年あけまして
おめでとうございます。 

昨年は、、、
こんな私の、不定期で
気まぐれなブログを読んで下さり、
大変感謝しております。

今年は、今年こそ!
間を空けずにしっかりと
更新していきたいと思っています。

本年も
どうぞ宜しくお願い申し上げます。


そして、
昨年10月に判明した
旦那の脳腫瘍。。。

2ヶ月以上の入院を経て、
只今、一時退院しております!(^^)


12月24日、
クリスマスイブに
退院することができて、

クリスマスもお正月も、
家で一緒に過ごせました。

こんな幸せなことはない!


旦那が病気が見付かり、

当たり前に思ってた全てが
全く当たり前ではないこと...

色々なことに
気付かされました。


一緒に生きていけること、
そばに居られること、
顔を見れること、
普通に話せること、

これがどんなに幸せなことかを
かなり思い知らされました。


入院中は、もう本当に
色々なことがありました。

状況説明のブログが
途中で止まってしまい、
申し訳ありません(>_<)


毎日毎日、
色々なことが起きてて、

先生達からの説明や状況が
コロコロと変わっていたので、

もう私ですら状況に
追いつけませんでした(ToT)


旦那が退院している間に、
前回の入院中のお話は
書き終わらせるつもりです。


次の入院は、
3月3日に決まりました。

これも本当は、、、
「次の入院は1月6日頃からです」って、
ずーっと主治医から説明を受けてきたのに、
執刀医からは退院日に、
「次は3月ですよ」と急に言われ...



次の入院日までにも、
通院や検査の予定は入っており、

地元の他の病院にも
通わないといけなくなり、
慌ただしい日々は続きそうです。


でも今は、
毎日一緒に居れるので、
全ての時間を大切にして、

旦那には、少しでも
楽しく過ごしてもらいたいので、
私にできることは、
全力でやらせてもらおうと思います。


前とはちょっと変化した?
今の日常や、入院中の出来事を
また更新させて頂きます(^^)

では、また。



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おはようございます(^^)

なかなか更新できず...
申し訳ありません。

メッセージをくれた方々、
ありがとうございます。


実は・・・

私が、ギックリ腰に。

ってしまいました(ToT)


仕事中にいつも通り、
小さめの荷物を持とうとしたら、

「え?何か腰が変!痛い!」となり...

気にしながらも、
そのあと2時間ほど
仕事を続けていたら、

完全にけなくなりました(泣)


話には色々と聞いていた
ギックリ腰というやつ。。。

私は初めての経験なのですが、
あれは地獄だね。笑


本当に信じられないほど、
く動けない!(ToT)

2日半は、
完全にたきり状態でした。


原因は恐らく、、、
最近の、、、

旦那が入院している病院へ
通うための時間の運転。

週に3回、往復5時間。

みーんなにそれが原因だと
言われました...(・∀・)


立つことも座ることも出来ず...

でも、ネットで調べると、
“普通に動いた方が良い”とのことで、
頑張って立とうとするも・・・

「あれ?私、今まで
どうやって立ってたっけ?」
と立ち方を忘れた感覚になりました。笑

激痛だし、腰に全く力が入らず。


仕方ないので、
四つん這い状態で
家の中を移動してました。

トイレなんてもう...
1番の地獄...(笑)

トイレ1回に
何十分かかったことか。


そして、
またそこで理するせいで、
もっと動けなくなるんです。


してや、
私は今、家に1人。。。

(※旦那はまだ入院中です。)


これが本当に望的状況でした。

痛み止めが切れて、
2メートル先にある薬を取りたいのに、
それすら取れず・・・

1人で格闘して、
ようやく鎮痛剤に辿り着いた私。

「やっと飲めるー!」と思った瞬間、
横に置いていたペットボトルの水が
であることに気付く私。。。

もう何とも言えない感情になりました(笑)


病院にも行けず、
どうにか少しずつ動けるようになり、

腰ベルトを手に入れ、
仕事にも行って日常生活に戻れました。


・・・


腰が治ってないまま、
仕事をして、
旦那の病院へ通う日々。

更に、
旦那の一時退院に向けて、
家の中を無菌状態に近付けるべく、

断捨離や大掃除を
しなければいけません!(・∀・)

(抗がん剤の影響で、
白血球が下がっているので、
感染しやすい状態なのです。)


ラグや布団を全て洗いなおして、
家中の全てをアルコール除菌。

私1人なら、今年は
コタツは出さない予定でしたが、

旦那が帰ってくるならと、
コタツ布団も洗って出しました。

もう何度、
コインランドリーを往復したことか...

でも、私にできることは全てやりたい!


なのに、の痛みが
私の邪魔をするんです(ToT)

治ってないまま、
ちょっと良くなったら
無理に動いてしまって、
また悪化して...

を繰り返してる状態。泣


今は座ることが1番痛みが増すので、
運転以外はあまり座らないようにしてます。

なので、パソコンも触れず、
なかなかブログを書くことが
できませんでした(>_<)


とにかく今は、、、
やるべきことが沢山あるので、
どうにかやり遂げます!(^O^)


そんな状態だから、
私の1人ごはんは、、、

もうこんなんよ。笑
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78円に割引されてた
カップラーメン!(・∀・)


実家で食べたりもするけど、
家で1人で食べる時は、
とにかく今は横になってたいから、
サッと済ませてます。


今は究極に手を抜いてますが、

旦那が一時退院したら、
栄養満点のご飯作りを
頑張らなければ!!!!!


旦那の状況は、
かなり変わっているので、
また前回の続きから、
猛ダッシュで書いていきます(^^)

今回は、私のどうでもいい
現状ブログになってしまって
申し訳ありません。


では、また更新します(^^)



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